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自家用機パイロットの楽しみ・喜び・苦悩・疑問・怒り・驚き等の情報をメインに書きますが、飛行機以外の仕事や趣味の話題も時々書きます。
左メニューのコックピットからの動画撮影は、今や自家用機しか出来なくなりました。やはり、シミュレーターと違った臨場感があります。

■耐空検査を終えて(2011.6.30)

■年一度の耐空検査が終わり、アローが桶川に戻ってきました。
 今回は6/24が耐空証明の期限だったため、24日までに整備/検査を行う八尾空港まで持って(飛んで)行かなくてはならず、天気と仕事の関係で6/10に八尾に飛びました。
 24日に無事、局の検査を終えてから一旦、名古屋空港までフェリーし、名古屋で3泊してから桶川に戻ってきました。
 今回も、仕事の都合で私は機体の引き取りに行けなかったため、友人のTさんに八尾から桶川までのフェリーを全部お願いしてしまいました。
 Tさんに検査後のフェリーをお願いするのは今回で2回目ですが、なかなか自分の機体を預けられる、Tさんのように信頼できるパイロットというのはいないものです。

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 27日昼前、エプロンで待っているとアローが降りてきました。
 RWY14のエンドからTAXIする、久しぶりに見るJA4128です。やっぱりこの角度から見るT尾翼はいいですね〜。

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 私が「なんちゃってマーシャラー」をやって無事、定位置にスポットイン。名古屋から1時間半のフライト、お疲れ様でした。

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 この日は梅雨の中休み。暑くて暑くて、八尾の整備士さんからの伝達事項もそこそこに、カバーをかけて涼しい場所へ移動しました。

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 エンジンをクールダウンしながら(ターボ機には必要な作業なのです)、シャットダウン・チェックリストを読み上げるTさんです。お疲れ様〜。
 Tさんは、このあと新幹線で名古屋へ移動です。
 八尾空港までも、新幹線と地下鉄を乗り継いでフェリーに行ってくれたのですから、頭が下がります。

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 実は今回、耐空検査と同時にオーディオコントローラーの交換を行いました。今までは前部座席の2名用のヘッドセットとマイクのジャックしかなかったのですが、新しく後部席2名分のジャックを増設し、インターコムも4人用に交換したのです。
 一番上の平べったい機械が新しいオーディオコントローラーです。
 4名分のヘッドホンとマイク、2台の無線機とADFやVORなどのオーディオ出力を全て切り替えることができます。



posted by キャプテン101 at 08:56 | Comment(0) | キャプテン飛燕のフライト記>日記

■南大東島への着陸動画

■この動画は、かなり珍しいのではないでしょうか。

南大東島RWY02への着陸。


 那覇からのんびり洋上を飛んで約1時間。見渡す限り海海海・・・の向こうに島影が見えた時は感激でした。
『・・・南大東島、風力3、晴れ』など、気象通報で聞くくらいしかない島でしたが、ぜひまた訪れてみたい島の一つです。
 着陸したのは新しい空港の滑走路ですが、少し離れた場所に旧飛行場も残っており、また昔、さとうきび列車と呼ばれるちっちゃなSLが走っていた線路の跡も残っています。

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 地図では、北大東島の方が大きく表示されます。

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 この動画の後、当然ながら北大東島まで飛びましたが、サンゴ礁と紺碧の海に圧倒され続け、動画は取りませんでした。

●ROMDの沿革
1934年 大日本帝国海軍飛行場として開設
1963年 滑走路等整備
1965年 民間機運行開始
1968年 滑走路1.200mに整備しYS-11型機が就航
1972年 滑走路1.323m
1974年 本土復帰で空港の運用が米国法から日本の航空法に変更されたことに伴い、滑走路が800m分しか認められなくなり、使用機材が小型のDHC−6に変更。就航率低下のため、新空港建設開始。
1997年 島東岸に現在の南大東空港完成。旧空港は閉鎖され廃墟となる。
2004年 旧空港ターミナルがラム酒工場になる・・・
posted by キャプテン101 at 18:48 | Comment(0) | キャプテン飛燕のフライト記>日記

■大島空港へのX-WIND着陸

■動画を整理していたら、左のメニューバーになかった、大島空港への着陸の動画を見つけました。

■大島空港へのX-WIND着陸


 大島では、北〜北西風が卓越しているときにRWY21に降りようとすると、ファイナル付近の半島を回り込んでくる風にアオられることが多いようです。
 構えていればナンということもないのですが、油断しているとこの動画のように、『あっち向いてホイ』状態になります。
 この時には、風下に少し流されながら45度くらい傾いたかもしれません。



 
posted by キャプテン101 at 14:56 | Comment(0) | キャプテン飛燕のフライト記>日記

■懐かし〜い無線機

■倉庫を整理していたら、懐かしい無線機が出てきました。
 現在のICOMが、まだ井上電機と呼ばれていた頃のベストセラー機、『FDAM-3』です。
 FDAM-1とか2というのもあったと思いますが、昭和43年頃の話です。
 このFDAM-3も、昭和45年頃のものだったと思います。
 50Mhz帯専用のトランシーバーで、出力はわずか1W。単一電池が8本も入って、現在の携帯電話とあまり変わらない出力です。
 50〜54Mhzまでカバーしていることと、AMだけでなくFM波も出せることなどが特徴でした。
 暗い所で表示が見えるように、全面パネルに穴を開けて照明用のトグルスイッチを付けてあります。
 昭和45年の当時は、この数年前に大ヒットしたトリオ(現在のKENWOOD)のTR-1OOO、通商トラセンの影響で、各種のポータブル機が販売されていましたっけ。

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 このFDAM-3と一緒に、少し後に発売された八重洲無線の『FTDX401』と専用SP(スピーカーBOX)、オスカーブロックのSWRメーターなんてのも純正の箱に入ったまま出てきました。ほとんど発掘に近い存在です。
 ヤフオクに出品するのももったいないし、このまままた数年眠ってもらいましょうか。

posted by キャプテン101 at 09:19 | Comment(2) | キャプテン飛燕のフライト記>日記

■うれしい話

■私は、生まれて初めて飛行機の操縦桿を握ったのが、アメリカのオレゴン州、hillsboroという、タイガーウッズの自家用機も置かれているような、大きな飛行場でした。
 hillsboroにはいくつかの飛行学校があったのですが、日本の仲介会社を経ずにHillsboro Aviationという学校に直接入校し、数回に分けて渡米、鴨下教官という方に飛行技術を教わり、双発機(多発エンジン)のライセンスを得るまでお世話になりました。
 鴨下教官は、長年アメリカに住みFAA(アメリカ連邦航空局)の教官の仕事をされていて、すでにアメリカ国民でもあるのですが、このたび、めでたくFAAのExaminer(試験管)の審査に合格されました。
 試験官というのは、つまり生徒に教えたりソロ(単独)飛行の許可を出したりできる教官という資格の更に上位ランク、FAAのライセンスそのものを発行することもできる最高の資格です。
 その合格の様子が、氏のブログに書かれていますのでご覧いただき、ブログの方へも時々お立ち寄り下さい。

 たぶん、日本人では初めてのFAAエグザミナーではないでしょうか。
 アメリカは日本と違い、ライセンスの発給はFAAから委託されたエグザミナーに任されていますので、その責任も重大です。
 今後とも、鴨下教官のご活躍を期待しますが、劣等生ながらも教え子の一人として、鼻高々です。
 本当におめでとうございます。

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 右(機長席)がキングエアーを飛ばす鴨下教官、左はhillsboro aviationの社長、マックス氏です。
posted by キャプテン101 at 10:33 | Comment(0) | キャプテン飛燕のフライト記>日記

■ROAH(那覇空港)への着陸シーン

■宮古島空港、 RWY22への着陸シーンに続き、ROAH(那覇空港)RWY36への着陸シーンです。


 北風系運用の際にはRWY36となりますが、ILSはこちら側しか設置されていません。
 宮古島を離陸して、ずぅ〜っと雲中飛行で沖縄本島近くまで、そして那覇APP.(アプローチ)にハンドオフされてそのままILS進入の開始地点まで誘導される、というパターンです。
 画面は、かなり滑走路に近づいた場所から始まっていますが、雲から抜け出てから数分後の位置です。




posted by キャプテン101 at 14:37 | Comment(0) | キャプテン飛燕のフライト記>日記

■ROMY(宮古島空港)への着陸シーン

■久しぶりの更新になります。

 今回は宮古島空港、 RWY22への着陸シーンです。


 それまでは、私が飛んだ中では南大東島が最南端の島でしたが、記録を更新しました。
 この日は前線に刺激され、お隣の石垣島にかなりの降水があり、降水域が宮古島方面に移動中というシチュエーションです。
 那覇空港からフルIFRで飛びますと、宮古島や石垣島方面からの到着便とのバッティングを避けてか、那覇から一旦南側のFIXに振られ(誘導され)、そこから宮古へ誘導されると現地の職員の方から聞いていました。
 この日は雨域がどんどん近づいてくる事が分かっていましたので、なるべく早く宮古に降りたいところ。那覇からはVFRで離陸し、宮古島までの最短直行ルート6.000ftで行程の1/3ほどの距離まで近づき、そこからIFRピックアップをしてもらう、という姑息な(?)方式にしました。

 飛びながらFSCにレーダーで降水域の動きを見てもらい、情報を得ながら宮古島に近づいたのですが、小型機の宿命、後ろから追ってきたライン便を先に下ろすため、島の西でしばらくホールド。
 CB(積乱雲)の近傍をかすめるような形でILS進入し、500ftで雲の下に抜けました。
 現地は石垣島付近を通過する低気圧に吹き込む風が宮古島でも強く、滑走路の左前方から22〜25KTの風が吹いていました。

 この日の翌日に石垣島、宮古島も梅雨入りしましたので、以降は毎日朝から晩までIMCのフライトばっかりでした。

posted by キャプテン101 at 10:05 | Comment(0) | キャプテン飛燕のフライト記>日記